コレクターのコラム - 美の演出

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福田平八郎と辰野登恵子

辰野登恵子

辰野登恵子 Untitled

福田平八郎

福田平八郎 竹

辰野登恵子

辰野登恵子 Untitled

オーストラリア国立美術館の入口にギリシャ前のキュクラデスとブランクーシの立像を並列に配置しています。キュレーターの心意気が伝わってきます。
古いものと、新しいものとの対比した凛とした姿に強く引かれます。

2000年、ボストン美術館のフォスターギャラリーで村上隆と曽我蕭白の組み合わせた展覧会、又最近萬野美術館で館所蔵の古美術と他館から借りてきた現代美術の組み合わせた新しい企画がもたれました。今後こういった演出が増えると思います。

ファインアートの片野田さんとよく美術談義をしています。話の中で「あなたのコレクションの範囲内で思う所をまとめてはどうか。」という提案がありました。はじめは躊躇していたのですが、うまく持ち上げられました。コレクター歴は30年近くなります。最近は好みが落ち着いたのですが、大きなうねりがありました。

タブロ、素描、版画、オブジェといった異種の組み合わせによる演出を中心に話を進めます。冒頭にふれました異種の展覧会の様なミニ企画をしました。何人かの組み合せで、続ける予定です。その組み合わせには、本来何の説明も無い方が良いと思います。解説が有りますと、見る側の観賞の妨げになり、予め持っているその人の予見と異なる危険性があります。
黙って見比べ、所蔵者の心意気をかっていただくのが筋と思います。とはいえ最初から図版だけの対比では物淋しいと思い筆を進めます。


福田平八郎②と辰野登恵子①③

20年前に手に入れた福田平八郎の小ぶりの竹の図柄
平八郎は瞬時の事象を俳句的感覚で捉え、デザインすれすれの所で表現する一方、色彩を重視した作家です。いまだ帝展盛んなりし頃、1932年「蓮」、1934年「花菖蒲」等の作品を見るにつけ、その"新しさ"に驚くばかりです。まさに今日の感性と思います。時代を大きく先取りした日本画家です。
小ぶりの3本の竹を上下でカットした一見なんのとりとめのない図柄、年次の異なった竹の微妙な色の差異と、バックの色の綾なすハーモニーからなっています。これはマチスの世界だと直感しました。
この作品は誇っても良いと自負しておりました。1986年大分芸術会館で平八郎の回顧展に出展の依頼が有りました。

辰野さんの2点を見ていますと、平八郎の竹を連想しました。ご本人は竹を描いている意識はないようです。竹(?)のようなモチーフを用いています。平八郎とは異なり節目で色の変化をもたらしています。その対比のあざやかさに目を奪われます。辰野さんはある雑誌で冒頭から「私の神様はマチスです。」と明快にのべています。
SAP SESSION 2000にて辰野さんを中心とした対話集会の抄録を手に入れました。
無断で借用して悪いのですがその時の対談の一部を紹介します。「多くの日本画家が伝統的に好んで使うモチーフに竹林や池の鯉があるのですが、このような常套的にきまったものを飽きずに題材とするある種の不気味さに興味を持ったことがあります。同じ竹でも福田平八郎の竹は、他の日本画に無い抽象性を備えていて素晴らしい。」と彼女が述べています。

人の絵をよくみて的確なコメントをしています。例えば1993年、日本経済新聞の文化欄に「絶頂への予感」というタイトルで10人の作家を取上げていました。少し後に10人の中の一人、マーク・ロスコ展を見た折、その分析の鋭さに感服しました。初期から現在に至る彼女の展開をみるにつけ、稀に見る才能のあるアーティストと思います。
本とか講演会の抄録での美術に対する発言からみて、くめどもくめども美の構想が枯れないと思います。それとタブロ、素描、版画の互いに刺激し合ったトライアングルの精力的な仕事は素晴らしい。
例えばタブロから素描、版画からタブロへ等、それぞれが独立した等価をもった第一級のジャンルになっています。

1995年東京国立美術館で辰野登恵子展をみました。いくつかの大きな正方形の部屋の壁面に幾重にも色彩が映えてシンフォニーを奏でている錯覚を起こしました。
時のへだたりと画材の異なった二人の共通した色彩感覚に触れました。

次は山本丘人と村上隆の組み合せを予定しています。

(2003年2月 S.T記)

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