コレクターのコラム - 美の演出

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山本丘人と村上隆

山本丘人

山本丘人 降り積る

二人の絵に何か不思議な繋がりがあるように思って、気になっていた。

丘人のこの絵は丘人の中でも特異なものと思っています。この絵で丘人全般に触れるつもりはありません。一般的には丘人のイメージは鋭く,力強い、男性的な緊張感にあふれたものです。
初期の優しい大和絵調をへて、質実剛健な画面構成に移行し、初期の大和絵調とは違った詩情あふれるものに変化しています。この作品に接したときは正直びっくりしました。
垣根と広い庭に積もった雪に椿の一輪の花片が正面の片隅にあります。ごくありふれた図柄です。こういう状景でも絵になるのだと思います。1994年東京国立近代美術館での山本丘人回顧展に出展依頼がありました。

この絵にまつわるエピソードを紹介します。ある展示会で手に入れました。その日の午前中、この絵の商談をしていた人がいまして、こういう絵は関西では売れませんということで、安心して担当者と昼食をとり、帰ってきたら売約済み。 後日その担当者が、初めて別のことで訪問されました。たまたま架けてあったこの絵を見てびっくりされました。お客さんに怒られ、泣かされましたということでした。

村上隆は東京芸大・日本画科卒業後、日本画を取り巻くヒエラルキーに反発し、日本美術界に対するあてこすりと実り少ない苦悩生活が続く。1994年アメリカに赴く。当初は日本を去る情況と似て悪戦苦闘が続く。
日本の伝統的古美術と1970年代、1980年代に世界に浸透した「漫画」「アニメーション」とを融合させて理論武装したのが「SUPER FLAT」です。この数年間欧米のコンテンポラリーアートで精力的活動を行なう。
この勝利を引っさげて日本に逆上陸をはたした。2001年東京現代美術館での村上隆展が開催された。当時その会場を見終わって、そのエネルギーに圧倒されました。明治以降100年間に日本画、洋画の世界で海外に通じ得るはじめての作家と思います。

自ら50人(マーケティング・リサーチャーも含む)のスタッフをかかえた工房を持ち、村上を中心として奈良美智等と内外で活動を行なっている。今迄の既成概念と違ったため周辺からの反発も大きい。
この間の経緯をある雑誌の浅田彰氏との対談で同氏が「新しくたちあげるアートは100人の人がいれば99人は当初糞味噌に詰る、一人が関心を示す。それが年月を経て古典になる。」といった趣旨で援護されているのが印象的でした。

ポスト・モダーンを迎えて久しいです。この間イタリアの3C、ドイツのキーファ、バゼリッツ等、アメリカのシュナーベル等すでに安定したものになっています。最新の「VITAMIN P」をひもときましても1990年以降、主だった新しい世代の作家は世界的に「抽象」から離脱しています。 こういった動きの中で村上隆が活躍しています。

図柄(山本丘人①、村上隆②)に戻ります。白い雪に深紅の花一輪、水平に厳しく区切られた生け垣の向うに、ざわめく松林。現世がどんなに騒がしくとも、生け垣に遮られた白一面の世界は凛として存在しているかのようです。虚空舞う水しぶき、DOB君は為す術もなく玩ばれているかの様です。
しかし彼は舞い遊んでいるようです。でなければこんな水紋描けないよと。時代の違いこそあれ、共に日本の絵画という場で、現実感の有る今を伝統を踏まえて描こうと試みる二人の苦闘の姿です。
絵画に対する革新を提唱し、行動を起こしたカリスマ性をそなえたリーダーの姿は、功なり静かに安息している花一輪と、近未来をめざして若さいっぱいに大空をかけめぐるDOB君に託していると思います。

(2003年3月 S.T記)

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