「コロナウイルスの時代に思うこと」~林孝彦~
「私たちは、私たちの存在、生活様式から忌むべき敵を切り離すことができない今を
生きています。」
大震災、原発事故、パンデミック・・・
無力な私の仕事、無力な私の作品と問い返し、ただただ打ちひしがれる日々。
落ち込んだ日々の中でも、体と気持ちを高揚させ、勇気や元気を人々に与えてくれる
暖かい食べ物、暖かい部屋、暖かなお風呂はきっと、つらい体に染み渡る。
そして、うつむいて悲しみに打ちのめされていようとも、音楽や語りや笑いを届けて
くれる芸能たちもつらい心に徐々に染み渡る。そんな力持ちはすばらしいものだ。
私は今、ここで何と向き合っているんだろう?
私は、ここで何をしたいんだろう?
何かを成し遂げる目的を持つのではなく、何も強(し)いないものとしてありたい。
そう願うだけ。
力持ちたちによって形作られた社会の拡大の中で、なおざりなもの、個々の小さな願
う側にあるもの。
ぽつんと誰とでも向き合える小さな鏡として。一人になって向き合って、作者の創作
のたったひとりの模索の中でたどり着いた先にある安らぎとして。
そっとそこにあり、ともに寄り添うだけのもの。語らいは、見る人から問いかけられ
て初めてつながっていくもの。
それぞれに、ぽつんと向き合ったときに、そこにある。私の作品には神もヒーローも
登場しないが、誰かに悪の汚名を着せない。
だれにも、なにもしてあげられないかもしれないが、決して何も取りあげない。賞賛
も嫌悪も、どちらも無用。
一人のたわいのないのない行為の集積としてそこにある。それでも、無意味なんか
じゃあないと信じている。そういう存在の証であってほしいと願う。
2020年4月22日
林孝彦