「コロナウイルスの時代に思うこと」~木村繁之~
関わっている美術大学が閉鎖となり東京を離れて八ヶ岳南麓1100Mの山の中の家にいます
朝はまだ零下となり、ひと月遅れの桜がようやく咲き始めました
庭の植物がゆっくりと動き始め枯れ木立にもうっすらと緑が見えます
普段から人の少ない場所ですがとりのこされたように静かです
テレビはなく無駄に煽られることはありませんがラジオも終わりのない疫病のことばかり
人と会わないように、なにもしないようにという現状は生活を萎縮させます
震災や経済不況のように日常が失われた時にはご飯を食べるのは紙皿となり青磁の器は必要とされません
生活の上澄みに生かされている美しい器の美術は無力にも思えます
それでも散歩の途中で見る草花は日に日に育ち遠望する山は毎日変わります
そのことその時が気持ちをなごませてひととき今を忘れさせます
美術が作者の自己表現手段ではなく美しいと思わせる風景や育ってゆく草花の生きる強さのようであればこのような疫病の折にも必要かもしれません
2020年4月24日
木村繁之