絵の値段
「絵の値段はどのようにして決まるの?」という質問を良く受けます。美術品の価格が消費者には見えない厚いヴェールに覆われている訳では決してないのですが、食料品・日用品・電化製品などと違って美術品の場合は、取り扱っている店の数もそれほど多くなく、また、一部のコレクターや美術愛好家以外は、美術館や画廊に足を運ぶ機会も少なく、絵に関する情報量が十分でないため、(絵の値段は分らない)と思うのは至極当然のことだと思います。そこで以下の小文において、絵の値段が形成されていく仕組みについて考えてみたいと思います。
先ず前置きとして、商品全般に通じる価格の原則といったものについて考えてみます。この前置きが絵の値段について考える上で参考なることと思います。
価格は、①生産コスト、②価値、③需要の三つの要因によって決まると考えられます。このうち、価値は商品の奥深くに隠れていてよく見えません。そして価値の実体を計測し、数値化することは非常に困難です。また、価値が絶対的なものなのか、それとも人間の評価によって変わる相対的なものなのかもよく分りません。そのため、価格は一見需要と供給のバランスのみによって決まるようにも見えます。ですが、良く考えると生産者が価格付けをする際にも消費者が欲しい商品を購入する際にも、価値が目に見えない部分で深く関わっていると考えられます。
価格が三つの要因の影響を受けながら商品ごとにどのような現れ方をしているかは、個々の商品をライフサイクルの側面から見ると比較的よく理解できます。ライフサイクルとは、その商品が市場に初めて登場してから、成長期、安定期、成熟期、衰退期を迎え、やがては市場から姿を消すまでのサイクルのことを指します。そして価格は、ライフサイクルが次のステップに移行するほど需要の影響を強く受けるようになります。逆に言うと市場の拡大と発展のためには需要の増大が欠かせません。このことをドラッカーは、「経営とは顧客の創造である」と見事に定義づけいます。
以上のことを念頭において、価格の現れ方を幾つかの実例を通して見てみます。商品ごとの価格の推移や価値との乖離を考える上で興味深いと思います。
①「ひまわり」で有名なゴッホの作品は、生前たった2点しか売れなかったそうです。ところが、現在のゴッホに対する評価はたいへんなもので、作品にもよりますが、オークションにおいて数億から数十億で売買されていますし、バブル期に100億を超える値段がついたことを記憶している方も多いことと思います。時代による価格の大きな違いは、商品に対する需要の大小として考えるとよく理解できます。
②コンピュータの値段は、今では量販店などにおいて、プリンター付で10万円以下で購入できる機種もあります。これに対して、弊社が10数年前に購入した「マイツール」という機種は160万円でした。コンピュータは工業製品なので、需要の増大に見合う数だけ生産してコストを下げることが可能です。この僅か10数年の間にこれだけ価格が下った現象を価格と価値という面から見ると不思議な気がします。
③経済市場においては人間も商品の一つだと考えられますが、同じような業界でも野球とサッカーでは選手に支払われる報酬もかなり違うようです。巨人軍の清原選手とJ-リーグの花形だった三浦知良選手に支払われている報酬の額にはかなりの差があると推定されますが、この二人のどちらにより価値があるのかを、その報酬だけで比べるのは難しいことです。このことは、プロ野球、J-リーグというそれぞれの商品が市場に参入してきた時期や、それぞれの市場における需要の違いによってもたらされた結果とはいえ、これを価値と価格の面から考えるとある種の矛盾を感じます。
さて、前置きが長くなりましたが、以下では美術品の中の絵(日本画・洋画・現代美術の絵画)の値段についてお話します。
まず絵のオリジナル性についてお話します。絵の価値はそのオリジナル性にあります。ここで言うオリジナルとは、タブローの場合には作品はもちろん1点しかありませんし、版画の場合でも数点からせいぜい30点から50点、多くても100点くらいしか制作しないため作品の希少性が保たれています。なお、版画が市場と呼べる規模まで発展し始めたのは、1970年に入ってからのことです。その後、1980年の半ば頃から、複製版画(エスタンプ)を取り扱う製造販売業者が現れました。この複製版画は国内外の有名画家の原画を基にリトグラフ、シルクスクリーン、ジクレーなどの手法を使って工房で大量に(1作品200部とか300部、またはそれ以上)製作し、販売されます。 このような複製版画をはたして美術作品と呼べるかどうかは、美術のオリジナル性からみても大いに疑問です。また、オリジナルとは作品が人真似でない作者独自の発想から生まれるものを意味します。作品がいくら良くても人真似の作品は評価されません。
次に、日本画、洋画、現代美術がそれぞれ市場として成立した歴史をお話しますと、日本画が約120年前、洋画が約70年前、そして現代美術が約40年前と推定されます。
因みに明治中期から後期の頃は、未だ日本画を扱う美術商は存在せず、代りに表具屋が画家と顧客の間を取り次いでいたと、小説家・宮尾登美子さんが上村松園をモデルに書いた「序の舞」に書かれています。また、洋画商の草分けとして有名な長谷川仁さん(日動画廊の創業者)の著書「洋画商」によると、昭和の初期に同氏が画廊を開いたときには、洋画を取り扱う画廊は僅か5軒しかなかったそうです。最近はホテル、高級レストランほか現代建築に数多く飾られている現代美術の市場が日本にできたのは1960年代の後半から1970年代にかけてのことです(現代美術そのものはそれより以前から輸入されていましたが、市場と呼べる段階に入ったのは上記の時期です)。
最後に、絵の流通についてお話します。画家が制作した作品は、画廊や百貨店を通じて消費者に販売されます。この他に美術業界特有の流通システムとして、交換会とオークションハウスがあります。このうち交換会は、日本画や洋画を取り扱っている画廊の必要性から生まれた業者のためのシステムで(一般の消費者がこれに参加することはできません)、ここで加入画廊は商品をセリにかけ、売買します。
この交換会で取り扱われている画家は交換会銘柄と呼ばれ、芸術性と経歴が第一級のAクラスの画家とBクラスながらその絵が一般受けのする(つまりどの画廊も取り扱い易い)画家によって構成されています。交換会銘柄の画家の数は、画家の総数に比べるとごく一部です。多くの画家は、画廊や百貨店を通じて販売するか、画家自身が貸画廊で展覧会を開くなどして自らのルートで販売します。
オークションハウスは、一般参加のシステムです。日本ではシンワオークションなどが有名で、このシステムは今後もおおいに発展していくことが予想されますが、未だ広く定着しているとは言えません。なお、世界的なオークションハウスには、サザビーやクリスティーズなどがあり、世界中の有名作家の作品がここで取引きされています。
絵の価格の決まり方や価格水準は、比較的歴史の古い日本画や洋画の市場と新しい現代美術のそれとでは、歴史的な違いから幾分異なっています。
日本画と洋画においては、交換会で取り扱われていない大部分の画家の価格は、画家と取扱画廊との間で決められます。もちろん価格決めにおいては、絵画市場の相場や他の画家の価格を参考にして、両者が妥当だと思う付け方をします。時にはその価格に「?」が付くような作家や作品も見かけますが、これは好みや価値判断の違いもありますので、ある程度までは仕方がないことかも知れません。
交換会銘柄の画家の場合は、価格を市場が引き上げて(時には引き下げて)いる分だけ他の画家の価格に比べるとより妥当な線がでているとも思われますが、この場合にも同じく「?」を付けたくなるような作品に時々出会うことがあります。
現代美術の価格は、時に画廊が相談を受けることはあっても、概して作家自身が決めます。
現代美術の価格水準は、日本画や洋画にくらべると格段に低いのが現状です。これは明らかに歴史の違いによると思われます。また、日本画・洋画においては、価格の高い作家と低い作家の差が比較的大きいのに対して、現代美術の価格はほとんど横並び、またはそれに近い価格が付けられています。このことも市場の発展度合(需要の大小)を反映していると思われます。
今まで縷々お話したように、価格にそれだけの価値があるかどうかを判定することは、たいへん難しい問題です。
皆様が気に入った作品を購入される時には、信頼できる画廊によく相談すると共に、皆様自身にも「絵を見る眼」を養っていただきたいと思います。このことは他の商品を買う場合の心構えと同じです。
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